受領論文(4月前半・追加)
・『長沙呉簡研究報告 第3集』(長沙呉簡研究会、2007年3月)
掲載論文:
阿部幸信「嘉禾吏民田家莂数値データの整理と活用」
小嶋茂稔「呉簡孫呉交替期における臨湘県の統治機構と在地社会―走馬楼簡牘と東牌楼簡牘の記述の比較を通して」
町田隆吉「長沙呉簡よりみた“戸”について―三国呉の家族構成に関する初歩的考察」
王素(市来弘志訳)「中日における長沙呉簡研究の現段階」
宋少華(中村威也訳)「長沙出土簡牘の概観」
羅新(森本淳訳)「近年における北京呉簡研討班の主要成果について」
朴漢済(藤石貴代訳)「コメント;韓国における長沙呉簡の研究状況」
長沙呉簡研究会編「“長沙走馬楼三国呉簡 嘉禾吏民田家莂”釈文補注」
伊藤敏雄編「長沙走馬楼簡牘関係文献・記事一覧(3)」
・平成16年度~18年度科学研究費補助金(研究代表者:関尾史郎)研究成果報告書『長沙走馬楼出土呉簡に関する比較史料学的研究とそのデータベース化』(2007年3月)
掲載内容:
調査概要、調査記録、調査成果(名籍竹簡、封検、竹簡の大きさについて、調査簡牘一覧表)
研究成果
窪添慶文「走馬楼呉簡の庫吏関係簡について」
関尾史郎「史料群としての長沙呉簡・私論」
同「長沙呉簡中の名籍について―史料群としての長沙呉簡・試論(2)」
同「長沙呉簡中の名籍について・補論―内訳簡の問題を中心として」
伊藤敏雄「嘉禾吏民田家莂における米納入状況と郷・丘」
安部聡一郎「走馬楼呉簡にみえる名籍の様式についての一試論」
中国の学会への送付のために4月前半(一部3月)に受領した論文は以下の通りです。
・森本 淳「曹魏における刺史と将軍」(中央大学人文科学研究所『人文研紀要』58,2006年9月)
・関尾史郎「敦煌の古墓群と出土鎮墓文(上)」(『資料学研究』4,2007年3月
・西北出土文献研究会『西北出土文献研究』4,2007年2月
掲載論文(関係分のみ):
栄新江ほか「新獲トォルファン出土文献概説」
伊藤敏雄ほか「米蘭の遺跡とその現状」
関尾史郎「トゥルファン出土“菩薩懺悔文承陽三年題記”について」
西北出土文献研究会『西北出土文献研究』5、2007年3月
白石典之「甘粛西部における魏晋十六国時代墓の編年―副葬土器を中心にして―」
町田隆吉「4~5世紀吐魯番古墓の壁画・紙画に関する基礎的検討」
荻美津夫「嘉峪関・酒泉地域魏晋壁画墓磚画、敦煌莫高窟壁画にみられる音楽資料について」
小林聡「中国服飾史上における火災回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓」
園田俊介「河西画像磚墓にみえる胡人図像―魏晋期の酒泉を中心として」
三崎良章「遼寧省における魏晋時代の壁画墓―遼陽と朝陽、そして酒泉」
関尾史郎「民楽出土、魏晋壁画墓をめぐる諸問題」
・窪添慶文 書評:張金竜著『魏晋南北朝禁衛武官制度研究』(『東洋学報』88-3、2006年12月)
川合 安「南朝貴族の家格」(『六朝学術学会報』5,2004年3月)
佐藤 賢「北魏内某官制度の考察」(『東洋学報』86-1,2004年6月)
松下憲一「北魏の国号『大代』と『大魏』」(『史学雑誌』113-6,2004年6月)
松下憲一 書評:田余慶『拓跋史探』(『東洋学報』86-1,2004年6月)
北村一仁「『荒人』試論―南北朝前期の国境地域」(『東洋史苑』60・61,2003年3月)
北村一仁「南北朝国境地域社会の形成過程及びその実態」(『東洋史苑』63,2004年3月)
津田資久「漢魏交替期における『皇覧』の編纂」(『東方学』108,2004年7月)
葭森健介 書評:安田二郎『六朝政治史の研究』(『東洋史研究』62-4,2004年3月)
葭森健介「中国古代史分期問題与基層社会的視角」(『人文論叢』2002年巻)
関尾史郎『「五胡十六国」時代に関する史料の収集・整理とそれを用いた歴史研究』(三島海雲財団学術奨励賞助成金研究成果報告書)2004年6月
長沙呉簡研究会『長沙呉簡研究報告 第2集』長沙呉簡研究会、2004年7月
谷口房男「南朝の左郡左県について―六朝時代における民族認識の在り方を求めて―」 (『東洋大学文学部紀要』57、史学科篇29、2004年2月)
阿部幸信「後漢時代の赤綬について」(『福岡教育大学紀要』53,第2分冊、2004年2月)
平田陽一郎「突厥他鉢可汗の即位と高紹義亡命政権」(『東洋学報』86-2、2004年9月)
谷川道雄「六朝貴族の家政について」(『東洋史苑』63,2004年3月)
佐藤 賢「崔浩誅殺の背景」(『歴史』103,2004年9月)
小林 岳「平原高唐の劉氏と劉昭」(『早稲田大学高等学院研究年誌』49,2005年3月)
梶山智史「崔鴻『十六国春秋』の成立について」(『明大アジア史論集』10、2005年3月)
堀内淳一「南北朝間の使節より見た“文化”の多様性」(『六朝学術学会報』6,2005年3月)
関尾史郎主編、阿部幸信・伊藤敏雄編『嘉禾吏民田家別数値一覧(1)』(平成16年度科学研究費補助金「長沙走馬楼出土呉簡に関する比較 史料学的研究とそのデータベース化」資料叢刊、2005年3月)
関尾史郎代表『中国国内所蔵敦煌・吐魯番文献の歴史学的・文献学的研究』(平成14年度~平成16年度科学研究費補助金研究成果報告書、2005年3月)
鈴木佳秀代表『ペテルブルグの文書館史料を用いた、ユーラシア諸民族の多元的宗教生活の歴史的研究』(平成14年度~平成16年度科学研究費補助金研究成果報告書、2005年3月):関尾史郎「トォルファン盆地の水利に関する一史料(副題を表示)」同「サンクトペテルブルグ蔵、戸籍様文書簡介」を含む
関尾史郎・岩本篤志編『トォルファン出土“五胡”時代漢文文書俗字データベース』(新潟大学大城プロジェクト研究資料叢刊Ⅵ、2005年3月)関尾史郎編『中国西北地域出土鎮墓文集成』(新潟大学大城プロジェクト研究資料叢刊Ⅶ、2005年3月)
関尾史郎「“西涼嘉興二年十二月李超夫人尹氏墓表”について―”五胡”時代石刻ノート(2)」(『環日本海研究年報』12,2005年2月)
西北出土文献研究会『西北出土文献研究』2,2005年3月 ;岩本篤志「敦煌・吐魯番発見“晋史”写本残巻考」、関尾史郎「”北涼年次未詳(5世紀中頃)貲産残巻”の基礎的考察(上)」、鶴田一雄「北涼・西涼時代の書跡について」、関尾史郎「トォルファン将来、“五胡”時代契約文書簡介補訂」、町田隆吉「“蒲陶”と“蒲桃”」
岩本篤志「北朝隋唐期の貴石印章とその用途―ソグド人・ササン朝との関係をめぐって」(『東アジア―歴史と文化―』14,2005年3月)
森本 淳「曹魏・西晋期における中級指揮官について―都督の支配構造に関する一考察」(中央大学人文科学研究科編『アジア史における社会と国家』中央大学出版部、2005年3月)
安部聡一郎「清流・濁流と“名士”―貴族制成立過程の研究をめぐって」(『中国史学』14,2004年9月)
満田 剛「諸葛亮没後の”集団指導体制”と蒋琬政権」(『創価大学人文論集』17,2005年3月)
三崎良章「十六国夏の年号について」(『史観』152,2005年)
板垣 明「高昌の内徙請願と北魏の西域政策」(中央大学人文科学研究科編『アジア史における社会と国家』中央大学出版部、2005年3月)
川合 安「南朝官人の起家年齢」(平成16年度東北大学教育研究共同プロジェクト成果報告書『アーカイブの構築と社会的メディア化』2005年3月)
戸川貴行「北魏孝文帝の姓族分定と民爵賜与について」(九州大学21世紀COEプログラム(人文科学)『東アジアと日本―交流と変容』第2号、2005年2月)
渡辺義浩「杜預の春秋長暦れについて」(『東洋研究』155,2005年1月)
渡辺義浩「“封建”の復権―西晋における諸王の封建に向けて」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』50・第4分冊、2005年2月)
渡辺義浩「杜預の諒闇制と皇位継承問題」(『大東文化大学 漢学会誌』44,2005年3月)
渡辺義浩「杜預の左伝癖と西晋の正統性」(『六朝学術学会会報』6,2005年3月)
渡辺義浩「井田の系譜―占田・課田制の思想史的背景について」(『中国研究集刊』37,2005年6月)
室山瑠美子「中国墓葬文献目録(三国両晋南朝篇)」(『大阪市立大学東洋史論叢』14,2005年3月)
佐川英治「北魏洛陽の形成と空間配置―外郭と中軸線を中心に」(『大阪市立大学東洋史論叢』特集号、2005年3月)
佐川英治「東魏北斉革命と『魏書』の編纂」(『東洋史研究』64-1,2005年6月)
石井 仁「六朝都督制研究の現状と課題」(『駒沢史学』64、2005年2月)
佐藤 賢「『配衣』の語義」(『集刊東洋学』93,2005年5月
澤 章敏「張脩と五斗米道」(『福井文雅博士古希・退職紀年論集 アジア文化の思想と儀礼』春秋社、2005年6月)
町田隆吉「麹氏高昌国時代の参軍氾顕祐の遺言状をめぐって」(『駒沢史学』64,2005年2月)
安田二郎『“梁書”、“陳書”及び“南史”の史料論的研究』(平成12・13・14年度科学研究費補助金基盤研究(C2)研究成果報告書、2003年3月)
堀井裕之「即位前の唐太宗・秦王李世民集団の北斉系人士の分析」(『駿台史学』125,2005年8月)
田中靖彦「唐代における三国正統論と『史通』―曹魏描写に込められた劉知幾の唐朝観」(『中国―社会と文化』20,
2005年6月
田中靖彦「『漢晋春秋』に見る三国正統観の展開」(『東方学』110,2005年7月)
会田大輔「北周『叱羅協墓誌』に関する一考察―宇文護時代再考の手がかりとして」(『(明治大学)文学研究論集』23, 2005年6月
菊地 大「五連罐・神壺亭の人物装飾と後漢・三国・西晋時期における江南地方の祭祀」(『中国考古学』5,2005年11月
川合 安「門地二品について」(『集刊東洋学』94,2005年10月)
関尾史郎「史料群としての長沙呉簡・試論」(『木簡研究』27,2005年11月)
室山瑠美子「北魏漢人官僚とその埋葬地選択」(『東洋学報』87-4、2006年3月)
石松日奈子「中国仏教造像の供養者像―仏教美術史研究の新たな視点」(『美術史』160,2006年3月)
関尾史郎「翟彊をめぐる断章(上)(中)―『吐魯番出土文書』剳記(12)」(『資料学研究』1,2、2004年3月、2005年3月
関尾史郎「甘粛出土、魏晋時代画像磚および画像磚墓の基礎的整理」(『西北出土文献研究』3,2006年2月)
関尾史郎「疏勒河古墓群出土鎮墓文について」(『西北出土文献研究』3,2006年2月
市来弘志「画像磚に見る魏晋期酒泉の家畜と牧畜―嘉峪関新城古墓群を中心として」(『西北出土文献研究』3,2006年2月)
園田俊介「酒泉丁家閘5号墓壁画にみえる十六国時代の河西社会―胡人画像を中心として」(『西北出土文献研究』3,2006年2月)
荒見泰史「中国国家図書館蔵敦煌写本、北京8407(鳥16)『衆経要集金蔵論』校録」(『西北出土文献研究』3,2006年2月)
岩本篤志「六朝隋唐五代と日本における『霊棋経』―敦煌本・室町期鈔本を中心に」(『資料学研究』3,2006年3月
関尾史郎「翟彊をめぐる断章(下)―『吐魯番出土文書』剳記(12)」(『資料学研究』3,2006年3月
新潟大学超域研究機構大域プロジェクト『大域的文化システムの再構成に関する資料学的研究 年次報告書2005』(2006年3月)
津田資久「曹魏至親諸王攷―『魏志』陳思王植伝の再検討を中心として」(『史朋』38,2005年12月)
津田資久「王粛『論秘書表』の基礎的研究」(『国士舘大学文学部人文学会紀要』38,2005年12月)
関尾史郎『「俄蔵敦煌文献」収載文献一覧(稿)―Ⅲ(Дх00601~Дх03600』(新潟大学大城プロジェクト研究資料叢刊Ⅷ、2006年3月)
新潟大学環東アジア研究センター『環東アジア研究センター年報』1(2006年3月):岩本篤志「中国・北朝隋唐期の貴石印章とソグド人、
片山章雄「トルファン古墓の空間と絵画資料と文書」、小口雅史「トルファン文書から見た古代世界の東と西―隋唐以前の諸制度
が周辺諸国に与えた影響をめぐって」
渡辺義浩「西晋における国子学の設立」(『東洋研究』159,2006年1月)
野田俊昭「両晋時代の故吏と行政」(久留米大学産業経済研究会『産業経済研究』46-2,2005年9月)
野田俊昭「南朝の故吏に関する一,二の考察」(『久留米大学文学部紀要』23,2006年3月)
梶山智史「北朝墓誌所在総合目録」(『東アジア石刻研究』創刊号、2005年12月)
梶山智史「隋代墓誌所在総合目録」(『東アジア石刻研究』創刊号、2005年12月)
伊藤敏雄「嘉禾吏民田家別における米納入状況と郷・丘」(『歴史研究』43,2006年3月
伊藤敏雄「『長沙走馬楼三国呉簡 竹簡[壱]』釈文補注(稿)」(『歴史研究』43,2006年3月)
三崎良章「壁画墓を通して見た三燕の民族」(『史滴』27,2005年12月)
園田俊介「北魏・東西魏時代における鮮卑拓跋氏(元氏)の祖先伝説とその形成」(『史滴』27,2005年12月)
吉田 愛「北魏雁臣考」(『史滴』27,2005年12月)
熊谷滋三「『魏書』と『北史』の爾朱栄伝について」(『史滴』27,2005年12月)
岩本篤志「徐顕秀墓出土貴石印章と北斉政権」(『史滴』27、2005年12月)
佐藤智水『4~6世紀における華北石刻史料の調査・研究』(科学研究費研究成果報告書、2005年3月)
佐藤智水「北魏太和末年の大型石仏像」(『龍谷大学論集』466,2005年7月)
渡辺義浩「司馬彪の修史」(大東文化大学『漢学会誌』45,2006年3月)
渡辺義浩「嵆康の歴史的位置」(『六朝学術学会報』7,2006年3月)
岡田和一郎「前期北魏国家の支配構造」(『歴史学研究』817,2006年8月)
岡部毅史 書評 閻歩克『品位与職位 秦漢魏晋南北朝官階制度研究』(『東洋学報』88-1、2006年6月)
永田拓治「『先賢伝』『耆旧伝』の歴史的性格―漢晋時期の人物と地域の叙述と社会」(『中国―社会と文化』20,2006年6月)
永田拓治 書評 胡宝国『漢唐間史学的発展』(『大阪市立大学東洋史論叢』14,2005年3月
山崎覚士 書評 渡辺信一郎『中国古代の王権と天下秩序―日中比較史の視点から』(『大阪市立大宅東洋史論叢』14,2005年3月
堀内淳一「馬と柑橘―南北朝間の外交使節と経済交流」(『東洋学報』88-1,2006年6月)
伊藤敏雄「『長沙走馬楼三国呉簡 竹簡(壱)』釈文補注(稿)」(『歴史研究』43,2006年3月)
伊藤敏雄「嘉禾吏民田家莂における米納入状況と郷・丘」(『歴史研究』43、2006年3月)
前島佳孝「柱国と国公―西魏北周における官位制度改革の一齣」(『九州大学東洋史論集』34,2006年4月』
音成彩 「梁元帝『金楼子』について」(『九州大学東洋史論集』34,2006年4月)
安田二郎「曹魏明帝の『宮室修治』をめぐって」(『東方学』111,2006年1月)
葭森健介「中国貴族制研究の原点―明治における封建・中世論の導入と東洋史研究の形成」(徳島大学総合科学部『人間社会文化研究』13,2006
満田剛 「蜀漢・蒋琬政権の北伐計画について」(『創価大学人文論集』18,2006年3月
津田資久「『曹真残碑』考釈」(『国士舘東洋史学』創刊号、2006年6月)
石井仁・渡辺義浩「西晋墓誌二題」(『駒沢史学』66,2006年3月)
佐川英治「北斉標異郷義慈恵石柱 全禄文」(『4~6世紀における華北石刻史料の調査・研究』研究成果報告書、2005年3月)
佐川英治「北斉標異郷義慈恵石柱所見的郷義与国家的関係」(牟発松主編『社会与国家関係視野下的漢唐歴史変遷』華東師範大学出版社、2006
岡部毅史「北魏北斉“職人”考―位階制度研究の視点から」(『史学研究』254,2006年10月)
李 済滄「東晋中期の貴族政治と江南豪族社会―桓温・謝安の政治をめぐって」(『東洋史苑』66,2006年1月)
谷口建速「長沙走馬楼呉簡よりみる孫呉政権の穀物搬出システム」(『中国出土資料研究』10,2006年3月)
谷口建速「長沙走馬楼呉簡における穀物関係簿初探」(『民衆史研究』72,2006年11月)
関尾史郎「長沙呉簡中の名籍について・補論―内訳簡の問題を中心として―」(新潟大学人文学部『人文科学研究』119、2006年11月)
北村一仁「南北長期『中華』世界における『蛮』地の空間性について」(『東洋史苑』67、2007年1月)
室山瑠美子「『祖明』と『魌頭』―いわゆる鎮墓獣の名称をめぐって―」(『大阪市立大学東洋史論叢』15,2006年11月)
稲住哲朗「北斉文宣帝高洋の即位と婁太后」(九州大学21世紀COEプログラム『東アジアと日本―交流と変容』4,2007年3月)
三田辰彦「東晋の琅邪王と皇位継承」(『集刊東洋学』96,2006年10月)
福原啓郎「魏晋時代における九品中正制批判の議論に関する考察訳注篇」(『京都外国語大学研究論叢』LⅨ、2002年9月)
佐藤賢「北魏前期の『内朝』・『外朝』と胡漢問題」(『集刊東洋学』88,2002年10月)
伊藤敏雄「李柏文書小考―出土地と書写年代を中心に―」(『中華世界の歴史的展開』汲古書院 、2002年11月)
安部聡一郎「後漢時代関係史料の再検討―先行研究の検討を中心に―」(『史料批判研究』4,2000年6月)
安部聡一郎「袁宏『後漢紀』・范曄『後漢書』史料の成立過程について―劉平・趙孝の記事を中心に―」(『史料批判研究』5,2000年12月)
安部聡一郎「党錮の“名士”再考―貴族制成立過程の再検討のために―」(『史学雑誌』111-10、2002年10月)
渡辺信一郎『北朝財政史の研究―『魏書』食貨志を中心に―』科学研究費補助金研究成果報告書、2002年12月
関尾史郎「條呈―トルファン出土五胡文書分類試論(Ⅰ)(『東アジア―歴史と文化―』10,2001年3月)
関尾史郎「高昌国上奏文書管窺」(池田温編『日中律令制の諸相』東方書店、2002年)
関尾史郎「サンクトペテルブルグ蔵、Дх02683+Дх11074v初探―トルファン盆地の推理に関する一史料―」(『中国水利史研究』30,2002)
(関尾ゼミ)西北出土文献を読む会「トルファン出土漢語文書校訂稿(Ⅲ)―アスターナ305号墓とその出土文書―」(『東アジア―歴史と文化―』11,2002年3月)
窪添慶文「従籍貫、居住地、葬地所見的北魏宗室」(『国際中国学研究』5,2002年12月
佐川英治「孝武西遷と国姓賜与―六世紀華北の民族と政治―」(『岡山大学文学部紀要』38,2002年12月
三崎良章「北燕の『鮮卑化』について」(『早稲田大学本庄高等学校研究紀要』21,2003年3月
津田資久「『魏志』の帝室衰亡叙述に見える陳寿の政治意識」(『東洋学報』84-4,2003年3月
満田剛「『三国志』魏書の典拠について(巻1~巻10)」(『創価大学人文論集』14,2003年3月)
塩沢裕仁「漢魏許昌とその屯田・屯営区域」(『中国史研究(ソウル)』21別冊、2002年12月
小池直子「賈南風婚姻」(『名古屋大学東洋史研究報告』27,2003年3月)
福原啓郎「晋代の助成と家族の特徴に関する一考察―墓誌の分析を通じて―」(『京都外国語大学COSMICA』2003年3月)
太田稔「拓跋珪の『部族解散』政策について」(『集刊東洋学』89,2003年5月)小尾孝夫「劉宋前期における政治構造と皇帝家の姻族・婚姻関係」(『歴史』100,2003年4月)
川本芳昭「崔致遠と安倍仲麻呂―古代朝鮮・日本における「中国化」との関連から見た―」(『九州大学東洋史論集』31,2003年4月
渡辺義浩「呻吟する魂阮籍」(『中華世界の歴史的展開』汲古書院、2002年11月)
渡辺義浩「死して後已む―諸葛亮の漢代的精神」(『大東文化大学漢学会誌』42、2003年3月
渡辺義浩「『史』の自立―魏晋期における別伝の盛行を中心として―」(『史学雑誌』112-4、2003年4月
都築晶子「六朝隋唐時代における道教と女性」(『名古屋大学東洋史研究報告』25,2001年3月
荒川正晴代表『トルファン出土文書および関連伴出資料の調査』科学研究費補助金成果報告書、2003年3月
川合安「東晋の墓誌」(『“歴史資源”として捉える歴史史料の多角的研究』平成14年度東北大学教育研究共同プロジェクト成果報告書、2003年3月
市来弘志「代来城の位置と現況について」(学習院大学『東洋文化研究』5)2003年3月
石井仁「黒山・白波考―後漢末の村塢と公権力―」(『東北大学東洋史論集』9,2003年1月
伊藤敏雄「長沙走馬楼簡牘中の邸閣・州中倉・三州倉について」(『九州大学東洋史論集』31、2003年4月
渡辺義浩「所有と文化―中国貴族制研究への一視角―」(『中国―社会と文化』18、2003年6月)
渡辺義浩「日本有関『儒教国教化』的研究回顧」(『新史学』14-2,2003年6月)梶山智史「大趙神平二年“王真保墓誌”について―十六国北朝時期における“匈奴”の一側面―(『駿台史学』119,2003年8月)
室山留美子「北朝隋唐墓の人頭・獣頭獣身像の考察―歴史的・地域的分布―」(『大阪市立大学東洋史論叢』13,2003年9月)
下倉渉「『太后詔曰』攷」(『東北大学東洋史論集』9、2003年1月)
大峠要「東魏―北斉の中書侍郎」(『史朋』36,2003年12月)
渡辺信一郎「唐代前期における農民の軍役負担」(『京都府立大学学術報告人文・社会』55,2003年12月)
福原啓郎「吃音の話―三国、蜀漢を滅ぼした鄧艾の逸話」(『環日本研究』10,2003年3月
岩本篤志「羽田記念館所蔵“西域出土文献写真”766-767『十六国春秋』考―李盛鐸旧蔵敦煌文献をめぐって―」(『西北出土文献研究』創刊号、2004年3月)
関尾史郎「トルファン将来、『五胡』時代契約文書簡介」(『西北出土文献研究』創刊号、2004年3月)
山崎益裕「南朝における文化対立と政治的背景―南朝の正統性解明への試みとして―」(中央大学『アジア史研究』28,2004年4月)
関尾史郎「遼寧出土、『五胡』時代墓記考釈―『東晋永昌三年正月李廆墓記』ならびに『後燕建興十年崔遹墓記をめぐって―』(『環日本海研究年報』11,2004年2月
川本芳昭「隋書倭国伝と日本書紀推古紀の記述をめぐって―遣隋使覚書―」(『史淵』141,2004年4月)
満田剛「韋昭『呉書』について」(『創価大学人文論集』16,2004年3月)
小尾孝夫「劉宋孝武帝の対州鎮政策と中央軍改革」(『集刊東洋学』91,2004年5月)
能見太一郎「北魏政権下の氐族楊氏―諸民族統治の一例として―」(『立正大学大学院年報』21,2004年3月)
岡部毅史「新南朝の免官について-『免所居官』の分析を中心に-」(『東方学』101,2001年1月)
榎本あゆち「西魏末・北周の御正について」(『名古屋大学東洋史研究報告』25,2001年3月)
葭森健介「『地域社会の視点』・『共同体論』・『基層社会』ー1981中国史シンポジウム再論ー」(『名古屋大学東洋史研究報告』25,2001年3月)
兼平充明「後涼政権下の諸反乱について」(『青山史学』19,2001年3月)
森本淳「曹氏政権の崩壊過程に関する一試論ー軍事権との関係を中心にー」(『中央大学アジア史研究』25,2001年3月)
川本芳昭「顔之推のパーソナリティと価値意識について」(『史淵』138、2001年3月)
中村圭爾『魏晋南北朝における公文書と文書行政の研究』科学研究補助金研究成果報告書、2001年3月
藤井秀樹「前秦政権と天水尹氏」(『古代文化』53-5,2001年5月)
藤井秀樹「前秦における君主権と宗室」(『歴史学研究』751,2001年7月)
渡辺義浩「“寛“治から”猛政”へ」(『東方学』102,2001年7月)
関尾史郎「吏民田家別の性格と機能に関する一試論」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
阿部幸信「長沙走馬楼呉簡所見田種初探」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
小嶋茂稔「『丘』についての一試論」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
関尾史郎「長沙呉簡所見『丘』をめぐる諸問題」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
安部聡一郎「嘉禾4年・5年吏民田家別にみえる倉吏と丘」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
森本淳「嘉禾吏民田家別にみえる同姓同名に関する一考察」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
満田剛「長沙走馬楼吏民田家別に見える姓について」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
伊藤敏雄「長沙走馬楼簡牘調査見聞記」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
伊藤敏雄「長沙走馬楼簡牘関係文献・記事一覧」(『嘉禾吏民田家別研究―長沙呉簡研究報告第1集―』長沙呉簡研究会、2001年7月)
岩本篤志「北斉徐之才『薬対』考」(『東洋史研究』60-2,2001年9月)
川本芳昭「民族問題を中心としてみた魏晋南北朝隋唐時代史研究の動向」(『中国史学』11、2001年11月)
津田資久「陳寿伝の研究」(『北大史学』41,2001年11月)
大知聖子「北魏の爵制とその実態―民族問題を中心に―」(『岡山大学大学院文化科学研究科紀要』12,2001年11月
渡邊信一郎「戸調制の成立―賦斂から戸調へ―」(『東洋史研究』60-3,2001年12月
渡邉義浩「浮き草の貴公子何晏」(『大久保隆郎教授退官記念論集漢意とは何か』
2001年12月)
中村圭爾「東晋南朝における豫州・南豫州について」(大阪市立大学大学院文学研究科紀要『人文研究』53巻第2分冊、2001年12月
中村圭爾編『魏晋南北朝における公文書と文書行政の研究』(科学研究費報告書、2001年)
菊池大「後漢・孫呉・西晋時期の江南地域に見られる五連罐・神亭壺について」(『明大アジア史論集』6)
2002
野田俊昭「両晋南朝の清議・郷論と天子の支配権力」(『古代文化』54-1,2002年1月)
前島佳孝「賀抜勝の経歴と活動―西魏前半期の対梁外交と関連して」(『東方学』103,2002年1月)
谷川道雄「中国前近代社会の基本構造試論」(『名古屋大学東洋史研究報告』26、2002年3月)
山下将司「唐初における『貞観氏族志』の編纂と「八柱国家」の誕生」(『史学雑誌』111-2,2002年2月
川合安「六朝『謝氏家族墓誌』について」(『古代文化』54-2,2002年2月)
窪添慶文「北魏の議」(『中国の歴史世界ー統合のシステムと多元的発展ー』東京都立大学出版会、2002年2月)
松下憲一「北魏道武帝の『部族解散』」(『史朋』34,2002年3月)
渡邉義浩「九品中正制度における『孝』」(『大東文化大学漢学会誌』41,2002年3月)
三崎良章「『大夏紀年墓誌銘』に見える『大夏二年』の意味」(『早稲田大学本庄高等学院研究紀要』20,2002年3月)
窪添慶文「北魏の太子監国制度」(池田温編『日中律令制の諸相』東方書店、2002年3月)
小林聡「漢六朝時代における礼制と官制の関係に関する一考察―礼制秩序の中における三公の位置づけを中心に―」(『東洋史研究』60-4、2002年3月)
室山留美子「中国墓葬文献目録(北朝)」(『大阪市立大学東洋史論叢』12,2002年3月
前島佳孝「西魏・蕭梁通交の成立―大統初年漢中をめぐる抗争の顛末―」(『中央大学アジア史研究』26(中央大学東洋史学専攻創設50周年記念アジア史論叢)、2002年3月
町田隆吉『吐魯番出土仏教寺院関係漢語文書の整理と研究』科学研究費研究成果報告書、2002年3月
川本芳昭「漢唐間における『新』中華意識の形成―古代日本・朝鮮と中国との関連をめぐって」(『九州大学東洋史論集』30,2002年4月)
戸川貴行「魏晋南朝の民爵賜与について」(『九州大学東洋史論集』30,2002年4月)
小林聡「西晋における礼制秩序の構築とその変質」(『九州大学東洋史論集』30,2002年4月)
中村圭爾「『風聞』の世界―六朝における世論と体制―」(『東洋史研究』61-1,2002年6月
岡部毅史「魏晋南北朝期の官制における『階』と『資』―『品』との関係を中心に―」(『古代文化』54-8、2002年8月)
前島佳孝「隋末李密の東都受官に関する一試論」(『菊池英夫教授・山崎利男教授古稀記念アジア史論叢』(『中央大学アジア史研究』24、2000年3月)
山口洋「西晋愍帝時期の政局と雍州・秦州の動向」(『菊池英夫教授・山崎利男教授古稀記念アジア史論叢』(『中央大学アジア史研究』24、2000年3月)
山下将司「西魏・恭帝元年『賜姓』政策の再検討」(『早稲田大学大学院文学研究科紀要』45、第4分冊、2000年2月)
渡邉義浩・日吉盛幸共編『後漢紀人名索引』大東文化大学中国文学科渡邉義浩研究室、2000年2月
渡邉義浩「コンピュ-タ上におけるアジア系文字の処理の研究-『後漢紀人名索引』作成を中心に」(大東文化大学『人文科学』5,2000年3月)
渡邉義浩「孫呉政権の展開」(『大東文化大学漢学会誌』39,2000年3月)
三崎良章「『五胡』と『十六国』の名称について」(『早稲田大学本庄高等学院研究紀要』18,2000年3月)
三崎良章「東夷校尉考-その設置と「東夷」への授与」(西嶋定生博士追悼論文集『東アジア史の展開と日本』山川出版社、2000年3月)
窪添慶文「北魏における贈官をめぐって」(西嶋定生博士追悼論文集『東アジア史の展開と日本』山川出版社、2000年3月)
兼田信一郎「梁律編纂の背景-南斉永明律の検討を含めて-」(『獨協中学・高等学校研究紀要』17・18、2000年3月)
川本芳昭「北魏文成帝南巡碑について」(『九州大学東洋史論集』28,2000年4月)
野田俊昭「家格と『清議』」(『九州大学東洋史論集』28、2000年4月)
岡部毅史「北魏の『階』の再検討」(『集刊東洋学』83,2000年5月)
町田隆吉「『資治通鑑考異』所引『十六国春秋』及び『十六国春秋鈔』について-司馬光が利用した『十六国春秋』をめぐって-」(桜美林大学『国際学レヴュ-』12、2000年)
福原啓郎「三国魏の明帝-奢靡の皇帝の実像-」(『古代文化』52-8、2000年8月)
松下憲一「北魏の領民酋長制と『部族解散』」(『集刊東洋学』84,2000年10月)
松下憲一「北魏石刻史料に見える内朝官-『北魏文成帝南巡碑』の分析を中心に-」(『北大史学』40,2000年11月)
平田陽一郎「北朝末期の『部曲』について」(『史滴』22,2000年12月)
岡部毅史「北魏における官の清濁について」(『大阪市立大学東洋史論叢』11,2000年12月)
佐川英治「『魏書』の均田制叙述をめぐる一考察」(『大阪市立大学東洋史論叢』11,2000年12月)