前身は1989年に発足した「若手魏晋南北朝史研究者の会」で,14回の集いを重ねた後,2001年に「魏晋南北朝史研究会」に発展しました.ブログだけで様々な情報を公開していきますので少々見づらいところがあるとおもいますが,ぜひ,右メニューのカテゴリーとブログ内検索を活用してください.
伊藤敏雄編『魏晋南北朝史と石刻史料研究の新展開―魏晋南北朝史像の再構築に向けて』(平成18~20年度科学研究費補助金(基盤研究B)「出土史料による魏晋南北朝史像の再構築」成果報告書別冊)
窪添慶文「墓誌の起源とその定型化」
葭森健介「魏晋の頌徳碑に関する覚書」
福原啓郎「晋辟雍碑の再 検討―碑陰題名の分析を中心として」
中村圭爾「晋南朝墓誌と公文書」
李憑「従北魏平城時代的一批墓銘看京畿移民的社会地位与思想感情
補:両方与北魏平城郭城定位相関的墓磚」
趙水森「洛陽出土魏晋南北朝墓志的発現収蔵与著録研究」
朴漢済「魏晋南北朝時期墓葬習俗的変化与墓誌銘的流行」
窪添慶文「正史と墓誌―北魏墓誌の官歴記載を中心に」
葭森健介『日本・中国・台湾の研究者による中国民衆運動の史実集積と動態分析』(2007~1010年度科学研究費補助金(基盤研究A)唐代以前中間報告)2009年3月
津田資久「『郛休碑』初探」(『国士舘東洋史学』3,2008年6月
津田資久*朱大渭・梁満倉『諸葛亮大伝』(『東方』337,2009年3月
阿部幸信「長沙走馬楼呉簡所見調納入簡初探」(『立正史学』103,2008年3月)
倉本尚徳「南北朝時代における『大通方広経』の成立と受容―同経石刻仏名の新発見」(『中国哲学研究』2008年8月
倉本尚徳「『大通方広経』の懺悔思想―特に『涅槃経』との関係について」(『東方学』117,2009年1月)
倉本尚徳「北朝時代の多仏名石刻―懺悔・称名信仰と関連して」(『東洋文化研究所紀要』154,2008年12月)
岡部毅史「梁簡文帝立太子前夜―南朝皇太子の歴史的位置に関する一考察」(『史学雑誌』118-1,2009年1月)
関尾史郎「トォルファン新出『前秦建元廿(384)年三月高昌郡高寧県都郷安邑里戸籍』試論」(新潟大学『人文科学研究』123,2008年10月)
関尾史郎「魏晋『名刺簡』ノート―長沙呉簡研究のために」(『新潟史学』60,2008年11月)
安部聡一郎「隠逸・逸民的人士と魏晋期の国家」(『歴史学研究』846、2008年10月)
谷口建速「長沙走馬楼呉簡にみえる“限米”―孫呉政権の財政に関する一考察」(『三国志研究』3,2008)
石井 仁「呉・蜀の都督制度とその周辺」(『三国志研究』1、2006)
石井 仁「三国魏の征蜀将軍について」(『三国志研究』2,2007)
石井 仁「三国時代の都督制」(『創文』498,2007年6月)
石井 仁「富春孫氏考」(『駒沢史学』70、2008年3月)
福原啓郎「“釈時論”の世界」(京都外国語大学研究論叢LXⅨ、2008年7月)
渡辺将智「政策決定と文書伝達―後漢尚書台の機能をめぐって」(『史観』159,2008)
小林 聡「梁の武帝による礼制改革の特質―天監年間における国家祭祀の改革を中心に」(『集刊東洋学』93,2005年5月)
小林 聡「泰始礼制から天監礼制へ」(『唐代史研究』8,2005年8月)
小林 聡「晋南朝における宮城内省区域の展開―梁陳時代における内省の組織化を中心に」(『九州大学東洋史論集』35,2007年4月)
小林 聡「晋南朝における宮城の構造と政治空間―入直制度と“内省”に関する一試論」(森田武教授退官記念会編『近世・近代日本社会の展開と社会諸科学の現在』新泉社、2007年6月)
小林 聡「中国服飾史上における河西回廊の魏晋壁画墓・画像磚墓―絵画資料における進賢冠と朝服の分析の試み」(『西北出土文献研究』、2007年3月)
渡辺義浩「漢魏における皇帝即位と天子即位」(『東洋史研究』165,2007年11月)
渡辺義浩「西晋における〈儒教国家〉の形成」(『大東文化大学 漢学会誌』47,2008年3月)
渡辺義浩「王粛の祭天思想」(『中国文化』66,2008年6月)
渡辺義浩「〈受禅表〉碑における『尚書』の重視」(『三国志研究』3,2008年)